ヒダマルのラノベ講座。

ヒダマルが考える、ライトノベルの作り方。来たれ小説書き。

『伝説の花精霊と老いぼれ仙人』への回答。

 

 はなまるさん、この度はサービスのご購入誠にありがとうございます。

 商品ページの「よくある質問」にも記載している通り、ここに記載している意見は「ヒダマルの考える意見や感想・アドバイス」であり、絶対ではありません。

「キャラクターについて」「ストーリーについて」「設定について」「文章について」の四項目について述べています。


 創作活動、応援しています。
 よろしければまた、ご検討くださいませ。

 

 

〇キャラクターについて

 キョンとハルヒ、のび太とドラえもんのようなイメージで、視点人物(かつ、読者目線)のキャラと、日常からはみ出した突飛なキャラという組み立てでした。仙人の割に親しみやすいお爺さんなので、読者の感覚から外れないよう工夫されていたと思います。狐と天狗もです。

 初恋の男の子だけは、後に効いてこなかったので必要なかったかなと思います。すぐに狐に話を持っていかれているので「あれはなんだったんだろう」といいますか、話がブレる感じです。

 


 天狗が人間の小銭を、優曇華の小さな手の平に握らせて逃げた。
「天狗のお爺! 桔梗のかんざし、有難きじゃ!」
 逃げる背中がぴくりと揺れる。優曇華にすっかり心を渡すのが怖いのだろう。

 のシーン、じぃんと来ました。
 あらかじめ「白天狗は金にうるさい商人」という設定を伝えていたからこそ、小銭を握らせる行動に感動が生まれます。

 設定を伝えておくと言っても、地の文で「彼はお金にうるさい」だけでは効果はありません。エピソードで魅せておいてこそです。

 

 名シーンの正体は「誰が」「どんな状況で」「なにを言う・やる」で決まってきます。

 普段から優しいキャラが小銭を渡しても、心は動きません。銭にうるさい白天狗がやったからこそ、「強く優曇華を想っている」ことが伝わります。優しいシーンになります。


 これは、優曇華の設定にも通じてきます。

 上記のように考えると、優曇華の出現は災害の予兆であるという設定は、「地の文で伝えられただけ」です。優曇華がどのような宿命を持っているのか、どのくらい重いのか。エピソード記憶に訴えかけるような工夫があれば、もっと印象的になると思います。

 

〇名シーンの前フリについて。

 ふんっと念を込める。小難しい手順も、長ったらしい呪文も省略じゃ! あんなもんは、覚悟を決めるための儀式じゃ。
 わしの覚悟なんぞは、優曇華を弟子にしたあの日から……とうの昔に決まっておる。

 仙人のキャラを端的かつ魅力的に表す、これも名シーンだと思います。
 ただ、もっと魅力的で心に残るシーンにするには、これもエピソードで前フリしておいたほうが良さそうです。名シーンの本領が発揮されてないのでもったいないと感じます。

「術を使うには呪文が必要で~」
「そんなの面倒だから嫌じゃ」
「あのな、覚悟を込めるためにはそれなりの祝詞が必要でじゃな?」
「(呪文なしでやってみて失敗する)」
「ほれ、言うたじゃろ」

 といったシーンが事前にあれば、呪文を唱えず術に臨む仙人の「覚悟などとうに決まっておる」の凄味が際立って見えます。


『ワンピース』の第一話では、「ピストルのように強いパンチ」というキーワードをあらかじめ伝えておいたからこそ、「ゴムゴムの銃!」のカッコよさが際立ちます。「あ~~~~ここに繋がるわけね!?」という納得感、爽快感です。

 優曇華の花嫁衣裳も、「狐の婆が遺した」という前提がなければ魅力が半減するはずです。こうした「コレを際立たせるために、アノ情報を出しておこう」という意識を持てば、もっとドラマチックな物語を作れそうです。

 

 

〇ストーリーについて

 冒頭付近のなるべく早くに、「この主人公に今すぐ注目しなければならない理由」がほしいと感じます。「このストーリーに」「この設定(世界観)に」などのバリエーションは考えられますが、最も簡単で効果の高い考え方は「キャラ」です。冒頭部分はキャラへの感情移入度がゼロなので、本を閉じられる(ブラウザバックされる)危険が最も高い部分です。(『最も』かどうかは、議論の余地があるかもしれません)(しかし、こう考えておいて損はありません)

 なにか強烈に目を引く事件などが欲しいところです。「web小説において意味深なプロローグはお勧めしない」理由もこれです。

 

「人里に降りる」という方向性が定められた上で話が進んでいたので、その点である程度カバーされていたと思います。ただ、物語の推進力としてはまだ弱いです。「達成されなかった場合、どうなるのか」などが足りません。これでは、「残念ながら街へ行けませんでした」となっても「あ~あ」で済んでしまいます。

 

 ……ただ、この作品にそうした分かりやすいエンタメ性を求めるのも野暮だとも感じます。『毎日二ミリ』もそうですが、ラノベっぽい作風ではないためです。それが魅力でもあるため、分かりやすさやスピード感を求めすぎても悪手な気がします。

 梨木香歩先生の短編集『丹生都比売』(におつひめ)がお勧めです。日常と地続きの不思議が淡々と描かれるあたり、作風の参考になると思います。『西の魔女が死んだ』も好きです。


 第五話の冒頭付近が面白かったです。優曇華の初恋が発覚する回、良い話に落ち着くかと思いきやひっくり返されるのも好きです。話の雰囲気がリズムよく揺れ動いている感じです。

 このお話の本領というか、読ませ所というか、もっと早くにこうした魅力を伝えてくれれば嬉しいと感じます。第一話から「こういう面白さを提供しますよ~」というメッセージを伝えられれば、読者はそのお約束や期待を納得した上で読み進められます。

 

 

〇設定について

「天女郎雲の糸で編んだ手毬」ですが、「優曇華の霊力を吸い取って抑制する」という設定は後出しすることもできます。「これを肌身離さず持っておくように」と言い聞かせておいて、後から「実はこうした理由があった」と開示する選択肢もあります。
「そうした理由があることを隠していた理由」は求められますが、元々手毬が大好きなので釘を刺さなくても失くしたりしないだろう、といった設定を加えることなどでカバーできます。

 

 情報を先に伝えておくと、「サスペンス」の形式になります。

 ワインに毒が入っていると読者が知っていれば、え、飲むの? 飲まないの? 飲むかと思ったら電話がかかってきた! といったハラハラが生まれます。

 逆に、結果を先に出せばミステリーです。ワインを飲んで人が倒れたけど、え、原因はなに? ワイン? それとも別のなにか? 犯人は誰? といったハラハラです。
(ジャンルとしてではなく、技法としての意味です)


 手毬や鏡など、情報を先に出している割にはハラハラ感がありません。情報を隠しておいて、ここぞという場面で読者に開示するといいかもしれません。

「手毬を離してパワーアップ。実は手毬は制御装置だった」(情報の後出し。ミステリー)
「天狗から託された鏡だが、自分で使うのはやめる」(情報の先出し。サスペンス)

 など、何を隠して何を伝えるかによってバリエーションが考えられます。

 

 

〇文章について

 優曇華は先だって、古狐の大婆に自分と揃いの手毬を、ねだって作ってもらった。

 このあたりが、独特な「、」の打ち方ですかね。
 優曇華は先だって、古狐の大婆に自分と揃いの手毬を(ここの「、」を省略)ねだって作ってもらった。になるのが通常かなぁと。読みにくいとまでは感じませんし、むしろ読ませるエネルギーのある文章だと思うので、あまり気にしなくてもいいかなと思います。

 

〇視点について。

 地の文の視点人物が固定されていない箇所がままあったので、そこはちょっと読みにくいと感じます。

 お前さんは……ほんにお加代坊の言うことは、よう聞くんじゃのう。わしの言うことは、ちいとも聞きゃあせんのにな。
「その婆さまだがな、お加代が子を産む時、とんでもなく頼りになったんじゃ」
 真夜中に産気づいたお加代のために、着物の裾を絡げて、夜道を走って行きおった。
なるほど。剛気な婆さまじゃのう。

 基本的には仙人の思考や返事で構成されていますが、台詞の後の一行は優曇華の言葉です。別視点が急に挟まってまた戻ると違和感があります。

 

「その婆さまだがな、お加代が子を産む時、とんでもなく頼りになったんじゃ」
 それで、その婆さまが? 真夜中に産気づいたお加代のために、着物の裾を絡げて、夜道を走って行きおったとな。
 なるほど。剛気な婆さまじゃのう。

 のように、話を聞いている仙人の視点から離れてほしくないと思います。


 一方で、この外伝の後半にある優曇華の独白には味があります。自然に移行しているとも感じます。

「そんでな、自分だって婆のくせに、産婆の婆さんを負ぶって戻って来た」
『お加代! 大丈夫じゃ! お腹の子も一緒に頑張っとる! あとひと息じゃ!』と言うて、加代の手を握って励まし続けとった。

「そんでな」の後の『』内は優曇華しか知らない情報であることが伝わるので、優曇華視点への移行が唐突でなくなっています。ワンクッションがあると言いますか。このように「ここから先は優曇華視点ですよ」と分かれば自然になりそうです。

 

 しかし、そうした工夫がされないとしても、エネルギーはあります。その後の白天狗の気持ちなど、読ませる勢いは感じます。「視点が混ざって読みにくい」よりも、「天狗の心意気を知りたい」が勝ると言いますか。「この小説はこういうもんだ」と開き直るのも手ではあります。


 追記というか、そもそもですが、

「おい」
 なんだよ。
「聞いてくれよ、この間~」

 のように、台詞と地の文で会話が成立すること自体を批判する向きもありますが、ヒダマルは否定的です(分かりにくいですねこの文)。
 つまり「こういう形式もアリ」だと考えています。この形式の否定は、『涼宮ハルヒの憂鬱』の否定です。小説の雰囲気にもよりますが、普通に使っていいはずです。

 

 

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