「この作品にはリアリティがない」
創作への批判としてよく聞く言葉です。
特に、SF世界の非科学性を指摘・揶揄する際に使われる印象がありますね。ファンタジーや恋愛もの、バトル、ミステリー、あらゆるジャンルの創作物へまとわりつく言葉でもあります。
「リアリティがない」との指摘に怯える小説書きさん、多いんじゃないでしょうか。
しかし、この言葉を正しく捉えて使用している方はそう多くないような気がします。
「リアリティって結局なんなの?」という疑問へ、ヒダマルなりの答えを出してみます。
創作は面白ければいい。
とりあえず、考えてみてください。
『銀魂』にリアリティはありますか?
現実の幕末に宇宙人がいましたか?
『名探偵コナン』にリアリティはありますか?
あなたは日常的に殺人事件と遭遇しますか?
『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』にリアリティはありますか?
妹系エロゲ好きJKギャル妹を身内に持つ人間が周囲にいますか?
ないですよね?
でも、面白いですよね?
じゃ、なんの問題があるんでしょう。
面白ければ、リアリティなんて必要ありません。作者が追求すべきは「面白さ」であってリアリティではないことを、まずは心に刻みましょう。
創作におけるリアリティの正体。
しかしヒダマル自身、ある創作物に「リアリティがない」と感じることはあります。「リアリティがないから、面白くない」と感じることすらあります。
これはどういうことかと言うと、言葉の意味の違いです。
「リアリティがない」と批判する・される多くの方は、「現実的ではない」という通常意味のそれと、創作におけるそれとを混同しているのだと思います。
「現実的」という意味でのリアリティがなければ作品の面白さは担保されない、そんな訳がありません。これ以上論証するのも面倒です。
では、創作におけるリアリティの正体は?
ずばり、「説得力」です。
「リアリティ」=「説得力」
説得力。
「この物語の、このキャラなら、ここでまさしくこういった行動を取るだろう」と腑に落とすだけの説得力。読者を納得させる力。
物語が意外な展開に入る際、「なるほどそう来たか!」「それでこそ(この小説の)主人公だ!」と読者が感じるなら、そのお話には確かな説得力がある、つまり「リアリティがある」状態です。
逆に、
「えぇっ、このキャラはそんなことしないでしょ!」
「この流れで、なんでその新設定が出るの!?」
なんて思われるなら、その小説には読者を説得する・納得させるだけの力が足りない、つまり「リアリティがない」状態です。
現実的か否は問題ではありません。
「リアリティがない」と言われる理由は、ストーリーのためにキャラが動いたり、取って付けたような新キャラがすべての秘密を握っていたり、脈絡のないタイミングで都合のいいことが起きたりするからです。
「リアリティがない」は何を意味する?
「リアリティがない」と批判された場合は、二つの可能性があります。
一つは、本当にただ「現実的じゃないから」という感想。
もう一つは、「創作論としてのリアリティ(説得力)がないから、現実的な意味でのリアリティを批判せざるを得ない」です。
ここまで明晰に言語化された感想は珍しいと思うので、あらかじめ作者側で受け皿を用意しましょう。
本当は、「主人公の感情の流れがおかしい」という点に不満を抱いているのかもしれません。「悪役に立ち向かう理由が弱い」かも。
ただ、そういった個別の要素を意識的に言語化できる(してくれる)人ばかりではありません。なんとなく「こうじゃないでしょ」と感じて積もり積もった雑多な不満が、「納得できない。リアリティがないよ」というまとまり方をするのだと思います。
まとめ。
結論:リアリティとは説得力。読者を納得させる力のある小説を目指そう。
現実性をないがしろにしていいとは言いません。
ある職業のリアルな舞台裏を知っていればこそ書ける小説もあるでしょう。ただ、現実的であることに拘り過ぎて「面白さ」が削られるなら、本末転倒です。
現実性というなら、各小説の世界観に沿った形での現実性を実現しましょう。キャラの行動を一貫させましょう。目的や動機や手段を明確に示しましょう。
そうすることで生まれる「説得力」は、フィクション世界に確かなリアリティをもたらします。