小説には、「読ませ所」ともでも言うべき場面があります。
恋愛なら、ヒロインとの関係性など。コメディなら、キャラ同士の軽妙な掛け合いなど。バトルものなら、戦闘シーンなど。ファンタジーなら、素敵な世界観など。
作者として「これを書きたかった! ここに力を入れた! 是非とも読んでほしい、楽しんでほしい!」という思い入れのある場面ってありますよね。「早くこのシーンまで読んでほしいなぁ!」とワクワクしながら更新を続けることと思います。
それ、先に魅せましょう。
「読ませ所」は先に読ませよう。
読者には、作品を読む義務なんてありません。「ここまで読んでもらえれば面白いんだよ!」は通用しません。それは作者の言い訳です。
その作品の、面白いシーン。
魔法バトルや、撃ち合いや、ドラゴン狩り。面白い設定や、独特な主人公や、煌めくようなVRゲーム世界。
そういった「読ませ所」は、先に魅せてください。まずは楽しませてください。「一口目」を与えてください。
意味深なプロローグから始まって、モブキャラとの意外性のない会話、その後に「読ませ所」は、時すでに遅しです。
「読ませ所は先に読ませよう」、どんな作品にも適用できるわけではありません。しかし、読ませ所を後出しにする場合、その他の面白さを提供する必要があることだけは覚えておきましょう。意外性も予想外性もなく後の展開にまったく響いてこない文章を書き連ねてはいけません。
例えば、キャラの魅力を意外な言動で伝えたり、圧倒的な表現力でのめり込ませる文章を与えたり。
つまり「ちょっと難易度が高いよ」です。
(というかこの場合、「読ませ所」を複数用意できているだけです)
文学寄りの作品ならまだしも、エンタメ色の強い作品であれば、出し惜しみは避けるのが得策です。まず笑わせましょう。まずハラハラさせましょう。
何を提供する物語なのか?
要するに、「この小説では、こんな面白さを提供しますよ!」を先に伝えましょう、という話です。お客さんのことを考えましょう。
クライマックスを先に見せろという意味ではありません。クライマックスは、そこまでの積み重ねがあってこそ盛り上がります(この「積み重ね」こそが小説の強みです)。
冒頭付近で読者を困らせる・退屈させるのは、「結局、誰がなにをする話なの?」「なにが問題なの?」「どこに注目すればいいの?」が分からないことです。物語のどこを楽しめばいいのか分からないことです。
「ここ! ここを味わって! これを提供するからね!」と伝えられなければ惹き込めません。
もちろん、作者自身が理解しておく必要があります。自分の作品はどこが面白いのか。どこが読ませ所なのか。どこで読者を惹きつけるのか。なにが武器なのか。
「これだ!」という点を、とりあえず魅せてしまいましょう。勝負はそこからです。
まとめ。
結論:自作の「読ませ所」を理解して、読者に一口目を与えよう。
出し惜しみしてるなぁ……、という作品を多々見受けます。ちょっと口を悪くするなら、「悠長だなぁ」と。
戸愚呂っぽく言うならこうで、「危機感」が足りません。
「お前もしかしてまだ 自作が読まれるとでも思ってるんじゃないかね」
— ヒダマル (@hidamarirun) April 24, 2020
「読まれる前提」ではなく、「読まれない前提」で作りましょう。その上で「どうすれば読まれるか・読み続けられるか」です。
作品の読ませ所をいち早く伝えられたなら、読者も喰いついてくれるかもしれません。