クライマックスに立ちはだかる、最後の敵。事件の裏で糸を引いていた人物、その正体。物語が最高に盛り上がるポイントには、悪役の存在感が光ります。
ただ、ちょっと待ってください。
そのボスキャラ、いつ登場しましたか?
ラスボスが「知らない人」になってない?
唐突に「俺様が全ての元凶だ!」と高らかに宣言しつつ現れたキャラがクライマックスの悪役を担ったら、「これまで」を積み重ねてきた意味がありません。この極端な例えには誰もが頷くことと思いますが、似たような例は割とあります。
キャラクターは、初登場が遅くなればなるほど、感情移入先としての機能が弱くなります。
せめて全体の半分までには、物語の構成要素(キャラと設定)は揃えておきたいところです。新キャラの登場タイミングと考えても「中間地点」はギリギリです。
クライマックスに立ちはだかる悪役も、中間地点までには登場させておきましょう。 要するに、「ラスボスを知らない人にするな」です。読者が知っているキャラにしましょう。
もちろん、登場時に「この人が黒幕ですよ」を伝える必要はありません。味方だと思わせておいて実は悪役だった、のパターンはどんでん返しの王道です。
『とある魔術の禁書目録』一巻や『ブラック・ブレット』一巻のように、最後の敵がキャラクターではないこともあります。しかしその場合でも、これまでの物語の流れを汲んだ、うってつけのラスボスであることが前提です。最後の最後にポッと出てきたような、取ってつけたようなラスボスでは興醒めです。
犯人はこの中にいる。
ミステリー小説の基本中の基本は、「犯人はこの中にいる」です。言うまでもない事実のように思えますが、ミステリー以外の小説には意外と適用されていません。
ミステリー小説でなくてもミステリー要素を含む物語はたくさんあります(ミステリー要素を含まずに小説を面白くするのは不可能かも?)。ミステリーは書くというより技術として「使う」ものですが、物語の構成要素を長く伏せていると、ネタばらしの際に「え、なんで?」といった感想になりかねません。
「犯人がこの中にいない状態」を引っ張るのは、読者に対しアンフェアな態度です。作品の面白さも、多くの場合で減少しそうです。
とりあえず、「ラスボスはこの中にいる」と考えましょう。
最後の敵がポッと出のキャラにならずに済み、具体的な因縁を描いたり、キャラの役割の反転などのどんでん返しを演出できたりします。
まとめ。
結論:ラスボスの登場は、中間地点までには済ませよう。
これに失敗すると、クライマックスで読者が感じるのは「誰」「え、知らん人でてきた」です。クライマックスで盛り上がってるのは作者だけかもしれません。いたたまれない事案です、避けましょう。
どうしても最後に出す必要があるなら、「主人公は因縁の相手を探し求めている」「伝説の黄金龍を追いかけている」などと、設定上だけでも登場させておくなどの工夫が求められます。
ラスボスに限らず、物語中盤までにはすべての構成要素を出し揃えておく必要があります。その中でおそらく「最後に戦うから」という理由で登場が遅れがちになるのがラスボスなのでしょう。
「誰」と思われないためにも、読者の心にラスボス情報を残しておきましょう!